ドイツ生まれの高級磁器『マイセン』の成り立ち
こんにちは、ユカです。
皆さん、「マイセン」という名前はご存知でしょうか?
ドイツ生まれ、ヨーロッパ最初にして最高の硬質磁器としてであるマイセンは、
その魅惑的なデザインや高貴な絵柄から、日本でも人気があるブランドなんですよ!
「最近マイセンって知ったんだけど、あまりよくわからない…」
「なんとなく陶器は好きだけど、ブランドは詳しくないな…」
「マイセンは好きだけど、歴史とかは知らないかも」
そんな方々に向けて、「マイセン」の成り立ちについて
お伝えしたいと思います。
実はマイセンの成立には、日本が深く関わっているんですよ!
一緒にお話しに加わってくれるのは、なでしこちゃんです。
こんにちは、なでしこです!
よろしくお願いします♪
なでしこちゃんと一緒に、気軽に楽しんでいただけたら嬉しいです♪
今回のテーマ:「マイセンはどのようにして誕生したのか?」
17世紀はじめ、オランダが東インド会社を設立した時のこと…
東洋に進出したオランダは、やがて東シナ海各地の港を開港、貿易を独占していました。
オランダ連合東インド会社が、極東や東南アジアの珍しい物をヨーロッパに運びました。
日本の物もたくさんヨーロッパに渡ったって事ですよね!
長旅だったんだろうな〜
そこで、多くの人を魅了したのが、
白い硬質の素地に、コバルト・ブルーで絵付けした染付磁器や多彩色の色絵磁器。
それまでのヨーロッパの焼き物とは違い、その美しさは人工の宝石のよう…
そんな美しさに、特にヨーロッパの王侯、貴婦人が東洋の磁器に夢中になり
競って求めました。
また、当時はチョコレートは「ホットドリンク」として飲まれていました。それまで存在していたカップは、性質上、手で持てない程に熱くなってしまうため、気軽に飲むことが出来ませんでした。
しかし、新たにヨーロッパにやってきた東洋の磁器は薄手で、器も熱くならず、手に持って暖かいチョコレートを飲むことが出来ました。
それが、また貴族たちの心を掴んだ理由であるとも言われています。
確かに器が熱すぎて持てないとなると、不便かも…
東洋磁器は、見た目も機能的にも素晴らしかったという事ですね!
東洋の磁器を持っていると、国家の財力を示し、また異国の物を愛する「良い趣味」であると思われていたんです。(見栄もあったでしょうが…)
東洋の磁器を多く持っている=権力の証
といった感じですね。
その値段は、なんと銀にも勝るほどでした!
ヨーロッパの各国は、こぞって磁器焼成に努めましたが、東洋の硬質の磁器を焼成することは簡単ではありませんでした。
えええ!金銀よりも高価だなんて…
よっぽど魅力的だったんですね、東洋の磁器って。
私も東洋の磁器は好きですけど♪柿右衛門の色絵は素敵!
そうなんです!冒頭でも述べましたが、マイセン誕生に深く関わっているのが日本。
それも「柿右衛門」様式の日本磁器!
先ほど、貴族達がこぞって東洋磁器を買い漁ったというお話はしましたよね?
その中でも、特に熱狂的なコレクターがいたんです!
それが、ドイツ・ザクセン王国のアウグスト強王でした。
東洋の磁器が欲しい!!自分の国でも磁器をつくりたい!
東洋磁器の中でも特に「柿右衛門」に魅せられたアウグスト強王、
とにかく自国でも磁器を生産したいと情熱が湧き上がってきます。
そんな時、錬金術師ベトガーが、
黄金づくりに成功したという噂を聞きつけます。
君を雇うから、ぜひ黄金の研究をしてくれ〜!!
と、ベトガーを雇うことにします。
ですが、ベトガーは、なかなか黄金の生成に成功しません…
アウグスト強王は、かなりご立腹。
奴はとんだくわせ者だ!!アルブレヒツブルク城に投獄してやるー!!
こうして投獄されたものの、王の側近で学者のチルンハウスの助言により
ベトガーは釈放されました。
よかった、ベトガーさん…もしかして、黄金の生成に成功したっていう噂ってガセ?
…その可能性もゼロではありません。ベトガーにとってはちょっとした「お遊び」のようなものとして、人に披露していたのかもしれませんね。
さあ、そこで王はこのように思いつきます。
そうだ!ベトガーとチルンハウス
2人で磁器を製造するんだ!!
と、いうことでベトガーとチルンハウスは、2人で磁器生成の研究に没頭します。何年も続く試行錯誤の日々…
こうして、
1708年 ベトガーがまず茶色(赤色)のセッ器の焼成に成功します。
でも、白色ではないので研究はまだまだ続きます。
1709年には、ついにヨーロッパ最初の白色磁器の焼成に成功します!
わー!!ついにヨーロッパで初めての白色磁器ですね!
ここまでには4年の歳月がかかったようです。
本当に長い間、試行錯誤を繰り返していたんですね。
そうしてマイセン地方アルブレヒト城内に
ヨーロッパ最初の硬質磁器製造所を建設し、
1710年1月23日 磁器の生産を宣言します。
こうして、マイセン窯が誕生しました。
「マイセンの誕生」を年についての意見は別れることもあるようですが、
公式には1710年となっているようです。
まとめ
今回の話題をもう一度さらっとお話しすると、
・当時のヨーロッパでは東洋磁器が大人気で、特に貴族がこぞって集めた。
・その中でも、ドイツ・ザクセン王国のアウグスト強王が夢中だった。
・東洋磁器に夢中になり、自国でも磁器をつくりたいと考える。
・ベトガーとチルンハウスに命じて、磁器生成の研究をさせる。
・1710年についにマイセン窯が誕生する
このような流れでした!
「マイセンは日本の柿右衛門の模倣に始まった」
と言われます。
ですが、模倣したくても、長い間出来なかったのが現実でした。
長い年月、莫大な費用をかけても「磁器をつくりたい!」という王の思いから、マイセンは誕生しました。
優雅で気品ある西洋磁器の1つ、マイセンの始まりが
日本と関わりがあるというのはワクワクしませんか?
確かに、「西洋の磁器」というイメージの強いマイセンの誕生には、日本が関わっていたという話は興味深かったです♪
今回は「マイセンの誕生」までをお話ししました。
マイセンの装飾というよりは、歴史色の強い話題だったと思います。
次回以降はマイセンの色や柄など、マイセンの発展についてお伝えできたらいいなと思っています。
それでは、ごきげんよう。
また会いましょう〜!
ごきげんよう♪
参考文献:
前田正明・桜庭美咲「箱根マイセン庭園美術館所蔵 マイセンの華」(2001) 日賀出版社.
南川三治郎・大平雅巳「マイセン」(2009)玉川大学出版部.
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